ごあいさつ 

日蓮宗開祖である日蓮聖人は、鎌倉時代の貞応元年(1222)2月16日
現在の千葉県鴨川市小湊にて漁師の子としてご誕生され、令和3年2月16日にご生誕800年の節目を迎えられました。

妙法寺ではご生誕800年の記念事業として、日蓮宗「第1級宗宝」に認定されております
日蓮聖人の御真筆(日蓮聖人が書かれたお手紙)3幅の修復作業を行うこととしました。
1幅の裏面には「寄進表具 再興之願主 奈良屋隆二 天正八年七月」と記されており前回の修復が天正8年(1580)、
今から440年以上前であることがわかります。この頃は織田信長や徳川家康などが活躍する戦国時代であり、長い歴史を乗り越えて、
今私たちが目にできる事への感謝と共に、当時修復してくださった方のバトンを次の世代へつなぐ重責を感じております。

日蓮聖人のご生誕800年の節目に440年ぶりとなる日蓮聖人の御真筆の修復に
皆さまのお力添えの勧募(寄付)賜りたく、謹んでお願い申し上げます。


令和4年5月
発起人 妙法寺住職 久住 謙昭
妙法寺役員一同


 
 

生前、多くのお手紙を弟子や信徒へ 遺されている日蓮聖人

生前、多くのお手紙を弟子や信徒へ 遺されている日蓮聖人

本門大法御書

本門大法御書
健治二年(1254年)

日蓮聖人55歳の時に書かれた書状。全てのお経の中で最も勝れているのが法華経であり、中でも大事な如来寿量品に登場する仏様が一番尊い仏の姿であるということが綴られています。仏教の論文的要素が含まれている大変難しい内容であります。文中には書き損じた文字の上に線が引かれている、通称「見せ消ち」の箇所があり、一枚の紙が大変貴重で書き直しができなかった当時の時代背景が読みとれます。

伯耆殿並諸人御書

伯耆殿並諸人御書
弘安二年(1279年)

日蓮聖人の直弟子である日興聖人をはじめとする弟子信徒たちは、駿河富士郡熱原地域(現在の静岡県富士市厚原)で布教活動を行っておりました。しかし、その布教活動を良く思わない地元の僧侶や住民たちにより迫害を受けます。その迫害を聞きつけた日蓮聖人が見舞いと激励のために送ったお手紙です。右上の十九の字は手紙の枚数であり、日付と宛名があることから全十九枚のうちの最後のページであると推察されます。現存しているのはこの一紙のみであることから大変貴重な書とされています。

桟敷女房御返事

桟敷女房御返事
弘安四年(1281年)

日蓮聖人が身延山に隠棲されていた60歳の時に鎌倉の桟敷女房という女性に宛てたお手紙です。桟敷女房は妙法寺を開かれた日昭聖人の母とも伝えられています。健康状態が思わしくない日蓮聖人を案じ、白い反物を贈った桟敷女房へ感謝の気持ちを綴っています。文中に施しについての経説があげられておりますが、体調が悪く説明はできないと記されており、一言でもお礼を伝えようとする慈悲深い日蓮聖人のお人柄を伺うことができます。

歴史をつなぐ担い手に

歴史をつなぐ担い手に

440年前に歴史を担った先人の痕跡

日蓮聖人の御真筆を次の世代へつなぐ
歴史の担い手になってみませんか?

信仰の対象として永い年月をかけて先人より大切に受け継がれてきた貴重な信仰遺産。この歴史を共に次の世代へつなげる役割を担ってくれる仲間を募集します。日蓮聖人の歴史の担い手として、また妙法寺のサポーター(支援者)として、皆さまのご参加を心よりお待ちしております。修復が完了した際には、ご寄付いただいた方々をお招きした披露会も企画しております。

寄付の受付は終了いたしました。ありがとうございました。
ご寄付いただいた皆さまには詳細を後日ご案内いたします。
 

寄付の受付は終了いたしました。
ありがとうございました。
ご寄付いただいた皆さまには
詳細を後日ご案内いたします。
 

 

余剰金の使用用途について

余剰金の使用用途について

440年前に歴史を担った先人の痕跡

子どもたちの安全対策に活用いたします

妙法寺の西側にある名瀬小学校につながる急斜面は、現在横浜市より「土砂災害特別警戒区域」に指定されています。この道路は毎日数百人もの小学生が通ります。近年の地震や豪雨などで崩壊や土砂崩れを起こす可能性もあることから、安全対策のための擁壁工事が急務となっております。今回の寄付で余剰金がでた場合、通学路の安全を守るための擁壁工事の費用として活用させて頂きます。何卒、ご理解いただけますようお願い申し上げます。

御真筆の修復状況は随時妙法寺だよりや
妙法寺Facebookにてお知らせする予定です。

寄付について問い合わせる妙法寺Facebookはコチラ
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